感動するってそんなにいいこと!?

新聞で高畑勲という映画監督がこの僕に目からうろこが落ちた!!と思わせた発言をしていた。たった一言,「『感動すること』ってそんなにいいことなの?」という一言だ。僕はこのたった一言に救われた。以前『私は玩具』のコーナーにも書いたが,僕はいわゆる感動的な本や映画を見ても感動することはない。ジェット・リーの演舞を見たりmetamorphoseで総レースの美しいドレスを見たり,あるいは僕のお気に入りのトラッテリアのAさんの作る新メニューのピラフがとてつもなくおいしかったなど僕はその素晴らしい世界に昂奮してはしゃぐ,大騒ぎすることがある。これはどちらかというと感動と言うより感激という言葉に近い。それは『感激』という言葉は自らの感情が激することであり,感動は感情が誰かが原因となって心が動かされることになるからだ。僕にとって感情の高ぶりと言うものはあくまで主体が自分であってそれは感激と呼ばれるものであり,他人が主役のドラマに同情して感動するということはまずない。そんな僕を回りは冷たい人間だと思うかもしれない。しかしわざと感動しないようにしているのではなく,感動できない人間なのだからしかたがない。そんな僕にとって感動する映画やドラマや本はただの退屈なつまらない時間の無駄なアイテムでしかない。もちろんだからといってそれらの存在を否定するつもりはない。ラーメンが嫌いな人がラーメン好きな人を憎み,ラーメン屋なんかみんななくなってしまえ!と思っているわけではない。ただ,その人にラーメンを食べることを薦めなければいいだけだ。
だから僕は世の中に感動物の映画や本があってもいいと思うし,そういうものを好む人がいたって全然構わない。

だけど,最近,どうしても僕が頭を痛めているのが,最近,そういった感動物の作品が大量に作り続けられていることである。しかもそれらはなぜか大切な何かとの別れや死である。『千の風になって』も『セカチュー』も『恋空』も『8月のクリスマス(ただしこちらのオリジナルは韓国だが)』も『象の背中』も。他にもまだまだある。調べる気にすらならない。ひどいときとなると僕が借りてきたDVDの最初の予告はすべてそういったテーマの映画ばかりだったこともある。予告編はスキップできないので,僕はサーチボタンを押しながら本編が始まるのを待つしかない。やたらと人を死なせれば感動できるのか。人の死をそんなに美しく描くことにどんな意味があるのか。残念ながら現実の死はそんなに美しいものではない。どんなに美しく描こうとも死は死でしかない。また,死がテーマでなくても苦労話やスポ根が好きなのも日本人だ。なぜ日本人はこんなに美化された死や苦労を描くものを感動物として受け止め,好むようになったのか。それは日本という国が戦争もなく医療も発達しているので,日常における『死』や『苦労』がとても遠いもののように感じられるからだ。しかし全体的に見てそうだからといって日本人全てがそうだとはいえない。病気や事故で大切な人を失った人もいれば,病気に苦しむ人もいるし,生活が苦しくて食べるものに困っている人もたくさんいる。離婚や借金に苦しむ人もいる。そんな人たちにどんなに素晴らしい表現だろうとどんな素晴らしい大義名分があってもそんな人の死をベースにした映画を見せても喜んで見るだろうか。あるいはどんなに美しいテノールでも私のお墓が云々かんぬんといった歌詞の曲が流れても平気だろうか。…多分,感動してくれるどころかものすごく不快になる人が多いと思う。
以前,飲食店で店のBGMで『千の風になって』が流れたとき,飯を食ってる途中で席を立つわけにはいかず,しかしこの不快な歌詞は流れ続けるのでいらいらするわ飯は喉に詰まるわでとても苦痛だった。ここで勘違いしてほしくないのが,僕は秋川さんを批判しているのでない。ちゃんとしたテノール歌手なのだし,ルックスもきちっとできているので,その才能は認めている。ただ,他の歌もリリースして歌うべきだ。いつもこの歌ばかり歌っていては僕はまともに聴くことができず,あなたの歌声を正しく評価できない。

人の死や別れやお涙頂戴を意識した感動物の作品を嫌う僕はその対極にあるハイテンションなものや底抜けに明るいものを好むし,作りたいと思う。別に感動してもらえなくたっていい。だって僕にとって感動するより爆笑したりワクワクすることの方が大切だから。
子供のとき,僕は『ああ播磨灘』というマンガが大好きだった。播磨灘は絶対に負けない。出て来る力士を次から次となぎ倒していった。そこにあったのは播磨灘の強さへの羨望と,ページにあふれんばかりのパワーだった。しかし他の普通の読者は播磨灘自身よりも打倒播磨灘に燃える敵力士達の努力や人間ドラマが好きだったようだ。
どうしてみんな播磨灘の強さ,カッコ良さにもっと注目しなかったのか。どうして素直に播磨灘の強さに憧れなかったのか。負け犬の力士に同情したって感動したってみじめなだけなのに。
僕はフォトドラマを考えるとき,絶対にお涙頂戴や感動物や苦労話は作らないようにしようというのを前提にしている。出て来る悪魔を片っ端から余裕でフルボッコにするSD幸ちゃんのスピード感を感じて欲しい。そしてここには悲しい話や苦労話や人が死ぬ話なんて絶対にないと安心して欲しい。日常が苦しくて辛い人がもし見てくれて何も考えずに笑ってくれたらそれが僕へのモチベーションに繋がるだろう。空っぽサイトとか単細胞サイトとか言われてもいいし,感動できないと言われてもいい。むしろその方が本望だ。どうせ誰だって現実は厳しいんだから,せめてフォトドラマくらいは爽快で楽しい方がいいに決まっている。ファインダーを覗いているときも,フォトショップで加工しているときも,セリフを考えているときも,考えるのは,どうすれば一切悲しいシーンを出さずにアップテンポのお話を作れるかということばかりに骨を折る。きっとどこかで僕の作るフォトドラマを笑ってくれる人がたった一人だけになっても僕はお話を撮り続けようと思う。

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