贖罪と祈り

佐世保のジムで男が銃を乱射して2人が亡くなった。犯人は教会で自殺していた。以前から凶悪犯罪の犯人は警察が捕まえに来る前に自殺する,というパターンはそんなに珍しくなかった。だけど僕が今回どうしても気になったのは,なんで教会で自殺したのか,だ。僕が1番に考えたのは,自分のやらかしたことにビビって許しを乞いたかったのだろうということだ。しかし常識的に考えて平和なジムにいきなり現れて中にいた人を恐怖のどん底に突き落とし,善良な市民2名を射殺した男が自分の命を差し引きしたとしても神は許してくれるのか。だいたいキリスト教と言うのは自殺と言うのは重罪ではないか。いろいろな疑問がぐるぐる回る中,つまりこの男の考えるキリスト教と言うものは自分に都合の良いだけのものではなかったかと考える。つまりどんなに人を殺しても神を信じれば許されると言うわけで,誰が考えても極論である。当然キリスト教ではそんなことは誰も言っていないし,そんなことがまかり通る宗教であればキリスト教はここまで大きな宗教にはならなかったはずだ。
その昔,中世のドイツには贖宥状というものがあった。多分学校の歴史の授業では免罪符って習った人がほとんどだろうと思う。知らない人の為に説明しておくと,カトリックの教会がお金を集める為にこのお札を買うと天国に行ける,と言って市民に買わせたものだ。でも正しくは免罪符,でなくて,贖宥状と言う。免罪符という呼び方だと,その人の罪を完全に帳消しにする,という表現になる。実際の贖宥状は罪を完全に帳消しにするのではなく,犯した罪に対する罰を軽くしてもらうものであるからレストランに入ってただで飲み食いしたのにレストランに入っていないことになっている人とホットペッパーの割引クーポンを持って飲み食いする人くらいの違いがある。つまり贖宥状はその目的は異なるけれど,居酒屋クーポンとたいして変わらないのだ。しかもこのクーポンの厄介なところはホットペッパーのクーポンと違い,本当に罰を割引してくれるかどうか怪しいものだった。だって本当に贖宥状を買って死んだ後『私は天罰から逃れました!』なんて言う人はいないからね。雑誌に載ってる幸運のチャームブレスレットじゃあるまいし。死後の事だもの,分かるはずもない。この贖宥状は持っていたところで本当に割引してもらえるかどうかも分からないクーポンチケットだったってわけ。大体売っている本人達も本当にこのクーポンに100%の効力があるなんて信じてなかっただろうし。そんないいかげんなクーポンをだまされて買った市民はかわいそうだと思う?でもよく考えてみようよ。自分自身では何の善行もせず,もしかしたらちょっとくらい悪いことをしたこともあるかも知れないのに,たった1枚のペラペラのクーポンでそれを許してもらえるってあまりにも都合が良すぎやしないか?つまり教会の口車に乗せられてホイホイと贖宥状を買ってしまった市民が気の毒な被害者面をしていられるのもおかしいと思う。つまりこの贖宥状を買った人たちも神様を畏怖しているくせにいざとなったら救済を求めてくる身勝手な人間達なのだ。もちろん銃を乱射して殺人を犯した人と贖宥状を買っただけの人は罪の重さが全く違う。ただその本質にあるものは,脳味噌の片隅でもしかしたら心の広い神様なら自分の犯した罪(ここでいう罪は自罪であって原罪ではない)を都合よく許してくれるかも,というぬるい考えがあるのだろうと推測する。これはキリスト教の話だけではなく,我々普通の日本人にも言えることで,10円お賽銭を入れてイケメンと結婚したいです,とお祈りすることも同じである。
お祈りしたり贖宥状を買っただけで自分のやった過ちを許してもらったり自分の望みが叶ったりするなら世の中誰も苦労はしない。だいたい祈るだけでなんでもうまくいくようになったら世の中滅茶苦茶になる。みんな祈ってばかりで誰も働かず,家事もしなくなる。農業をやる者もいなくなるから,みんな飢え死にというオチは見えている。
日本には『人事を尽くして天命を待つ』という言葉がある。つまり望みあらば自分で出来る限りの努力をした上で,残りは神に祈る,ということだ。都合の良い神など僕は存在しないと思うし,人類の発展の為にも存在してはならないと思う。我々に必要なのは大きな祈りではなく,贖罪や願望成就への大きな努力とほんの少しの祈りだと思う。

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